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プルースト 死の恐怖を乗りこえる2

italie20110910 139

プルーストは死を
どういうものだと思っていたのだろう。

死と恐怖について
こんな一節がある。

「いつかは肉体を持たないときが来るけれども、それさえ、いつかはアルベルチーヌを愛さなくなるということが以前にひどく悲しく思われたのと比べれば、けっして同じような悲しみには見えなかった。」

プルーストにとって死とはまず
肉体の消滅だ。

この死をプルーストは
アルベルチーヌという女性への
愛の消滅と比較している。

彼女を愛しているとき
自分の命がけの愛が消えることを想像すると
このうえない悲痛が湧きあがり
その悲しみは
死による肉体の消滅を想像するときの悲しみより強い。

「ところが今では、もう彼女を愛していないことなど、どうでもよかったのである!」

しかし、実際にその女性への愛情が消えてしまうと
愛していたときに想像していた悲しみはすでになく
それどころか、愛が消滅したという事実さえ
「どうでもよかった」ということになっている。

命を懸けた愛が消えても
自分は平然と生きていて
これが事実なのであり
しかもこういったことは一度きりでなく
何度か繰り返される。

「彼女たちを愛しているこの人間がある日もう存在しなくなるという考えに、私は堪えられなかった……それは一種の死のようなものだろう。」

ある女性を愛していた自分は
すでに死んでいて
いまはべつの自分が生きている。

「このように次々と引きつづいて起こる死、それによって抹殺されるはずの自我があんなに恐れていた死、しかしいったんそれが完了して、死を恐れていた存在がもはやいなくなり、死を感じることもできなくなると、まるでどうでもよい穏やかなものになってしまう死、その死はしばらく前から、死を恐れるというのがどんなに愚かなことであるかを、私にわからせていた」

以前の自我が抱いた恐怖は
その自我とともに死ぬので
新たに生まれた自我はその恐怖を感じることすらない。

このように、生きているというのは変化することであり
この変化を阻止することはできないのだから
現状の維持に固執して変化を恐れることは事実上愚かしく
最後の変化である死に対しても
やはり恐れることは愚かしい。

いや、私たちは変化を阻止できないのではなく
私たちが変化なのだ。
その意味で私たちは
「いつかは肉体を持たないときが来る」まで
次々と死んでゆき次々と生まれている。

プルーストはこのように恋愛体験をとおして
変化を恐れることの愚かさを学び
死の恐怖をかわした。

しかし、恐怖は消えてはいない。

※引用は「失われた時を求めて 見出された時」鈴木道彦訳より
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