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ストレスの根:楽しさの否定

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強く印象に残った一節が
自分を長い間、けん制してきた。

「楽しみは、生物に生命を保存させるために、自然が考えだした手くだにすぎません。楽しみは生命が進んで行く方向を示すものではありません。しかし、喜びはいつも生命が成功したこと、生命が地歩を得たこと、生命が勝利をえたことを告げています」

これはベルクソンの「意識と生命」にある一節だが
これに触発されて
「楽しみ」は低いもの
求めるべきは「喜び」
ずっとそう思ってきた。

では、「楽しみ」とはなにかといえば
具体例として挙げられているのは
「金がもうかることや有名になること」。

「喜び」のほうは
「子を見る母親」
「自分の考えを実現した芸術家」
「発明や発見をした学者」

「楽しみ」は底の浅い満足で
「喜び」は創造の達成による深い満足
そう解釈した。

ポール・ヴァレリも
低次の満足をより高次の満足で殺す
というような生き方の信条を表明していたと思う。

しかし自分は酒をよく飲み
エンタメ系の映画をよく見る。
底の浅い満足によく走る。

結果として、ゴリゴリの自分が
無意識に本能をいじめ
底の浅い満足の裏に
ストレスが張り付いていたのだと思う。

では、どうしたらいいのだろう。

酒を飲むことに
深い喜びを感じられればいいのではないか。
映画を見て
やはり喜びが深まればいいのではないか。

自分の性向を認めて
それを活かせればいいのだと思う。

そう思って「意識と生命」の一節を
前後も含めて読み返してみると
ベルクソンはこんなこともいっていた。

「あらゆる領域において生命の勝利が創造であるとすれば、芸術家や学者の創造とは違っていつでもだれにでも追求できる創造にこそ、人間の生命の存在理由があると考えるべきではないでしょうか。」

ベルクソンは克己の人で
なかなか厳しいこともいっているが
いまは自分の性向をベースにして
自分でも「追求できる創造」が何なのかを
はっきりさせたい。

※引用は「ベルグソン全集5 精神のエネルギー」渡辺秀訳より
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