FC2ブログ

記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

直腸がんステージⅣ診断から1年の心の変化 1

CIMG5446.jpg

2016年5月、医師から、
化学療法を実施した場合、
余命は平均で2年程度だといわれた。

医師のことばに対して、
自分の本能は、生きつづけたいと反応した。

ただ、自分のがんは、
いろいろ無茶をした結果だとも考えた。

この考えには、
自分の人生はここまでか、という思いがともなった。

この思いには、あきらめも混じっていたが、
それまでの歩みを肯定する、
もう上がりでいい、という気分もあった。

もうひとつ明らかになったのは、
それまでの自分が、
死ぬということを他人事にしてきたということだった。

事実、生きている自分は
死んだあとの自分を確認できないのだから、
“死ぬのはいつでも他人だ”。

だから、死ぬのを自分ごとにするのはむづかしい。

それでも、余命を告げられたことで、
自分が遠からず死という不可解な事態を迎える、
あるいは、いま直面していると納得した。

この納得は、人は誰でも死ぬという一般的な知識と違い、
生理に直結する情動を引き起こした。

その情動には恐怖も不安もあったが、
それ以外の要素も含む、
なにか複合的なものに感じられた。

この情動は、治療を生活の中心にすえるという自分の方針をぐらつかせた。

治療を生活の中心にすえるなら、
治療効果を最大にするよう努力をしたいのだが、
ぐらついた心理状態では、
自分の努力などしょせん無駄だと思わせるような、
運命の観念が現われたりして、
気持ちがぶれた。

このぶれは治療に負の影響を与えるように感じられた。

そこで、死に関する思いを抑圧して、
押し殺そうとした。

しかし、それではかえって、
死に対する負の感情が
無意識のなかで育ったのか、
強い影になって再来してきた。

これは瞬間的に強いストレスになった。

強いストレスは治療効果を弱めるように思えた。

リラクゼーションのために瞑想法などを実行したが、
意識は一時的にクリアになっても、
自分の場合、
その効果が無意識の働きにまで届くには、
そうとうな時間が必要だと思えた。

結局、無意識に働きかけるには、
「死」を避けてはだめだと考えた。

ちょうどそのころ、
がんが治癒している患者には
死を受けいれている人が多い、
といった、ある医師のコメントに興味を惹かれるということもあった。

そこで、避けるのではなく、
死に関するイメージや観念に
正面から対峙しようと考えた。

以上が、がん治療の第一歩になった。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。