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直腸がんステージⅣ診断後1年の心の変化 3

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「死ぬ瞬間」は
たいへん悩ましい領域だ。

臓器移植に関連した
脳死についての議論があったが
結局、なにをもってして
人が死んだといえるのか
哲学と科学での合意は成立しなかった。

肉体の死だって
60兆ある細胞は
部位によって機能停止のタイミングは違うということだから
全身があるタイミングで
一気に機能を止めるわけではない。

では、こころはどうなるのだろう。

脳の働きをモニターすることで
意識のあるなしはある程度とらえられても
その把握は物質レベルでの観察が
可能な範囲にとどまり
ゴリゴリの唯物論者でもなければ
こころの働きが止まるときを
明確に限定できるとは考えないだろう。

「死ぬ瞬間」に関する情報としては
臨死体験をした生還者の話があるが
では、臨死体験は
死の真実を表現しているのだろうか。

科学的なアプローチからすれば
臨死体験は脳が生み出した
心地よい夢のようなもの
ということになるようだ。

物質の塊としての脳から
死を見ようとしても
物資的な反応と意識内容の
リンクしかできないのは当然で
臨死体験を脳の夢とすることは
方法論の限界が露呈しているだけに思える。

要するに科学では
「夢」の内容が真実の死を表しているかどうかは
方法論の限界があって判定できない。

ただ、少なくとも
死ぬ間際には
「心地よい夢」を見られるということだから
死にいたる最終プロセスに対して
そう不安になる必要はないようだ。

これは昔の人も知っていたことなのだろう。

死ぬ間際に「ナンマイダー」ととなえれば
極楽に行けるといわれていたが
この「極楽」が実は
脳の作り出す夢だったということなる。

極楽にも地獄にも関心の薄い現代人としては
「極楽」が「脳の夢」だったといわれても
そうショックは感じない。

以上のような整理は
死のイメージを少しずつ漂白した。

残るは「死後」についての観念的な整理だが
ともかく、こういった整理と同時に
治療を進める意志、
というか、
自分の生命に対する感覚
自分は生きているんだという実感が
クリアになっていったように思う。
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