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生きている時間 5

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太陽が昇って沈む。
その動きがものの影を動かし
その動きの軌跡に目盛りを振れば
時が計れる。

太陽でなくても
砂でも水でも
動きが安定していれば
その動きの軌跡を基準にして
社会的な時間というものを
決めることができる。

短距離走者が10秒で
100メートルを走る。
これはたとえば
太陽の影がAからBに移行するあいだに
走者が100メートルを走りきったということで
その10秒は絶対ではなく
太陽の動きとの比較に関して
誰も異議をさしはさめない数値
ということだ。

だが、スタートからゴールまでの
100メートルの走行は
太陽の動きとは関係なく
誰のものでもないその走者だけの持続で
これは絶対的なもの。

内側から生きられた
運動としての絶対的な時間は
計ることができない。

おそらくその10秒には
何年にもわたる
心身のトレーニングが体積している。

1時間はけっして
ただの1時間なのではない
とプルーストはいっている。

「それは香りや、音や、
さまざまな計画や、
気候などのつまった
壺である」

時給で働いた1時間も
ローン返済の30年も
余命の2年も
どれも社会生活面の表皮でしかなく
自分という持続の中身を
表わしてはいない。

短距離走者が100メートル10秒を目標にしたなら
それを実現したとき過去は報われ
望まれた未来のヴィジョンが到来したことになり
過去と未来は融合した現在になって
その生きている時間はパラダイスだといえる。

100メートルランナーでなくても
毎朝花を見ていれば
その日その日の花の様子を
感じとる感覚が鋭敏になってきて
美しい花を望む気持ちがあれば
今ここは花を感じるだけで
パラダイスになる。
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