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記憶・永遠 3

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誕生からいまにいたるまで
眠りであったり覚醒であったり
意識であったり無意識であったりはしても
つねにいまここでずっと
鳴りつづけている音が自分だとするなら
自分はひとりいるだけになる。

自分がひとりだというのは
実感としても自然だが
この点に関してプルーストの自我観は
変わっている。

『私が図書室で「フランソワ・ル・シャンピ」を手にとると、
ただちに私のなかには一人の少年が立ち上がって、
私にとってかわる。
この少年のみが、
「フランソワ・ル・シャンピ」というタイトルを
読む資格を持っているのだ』

すでに年老いた「私」が
少年のころに読んだ本を
手にとったときのこと。

「彼(少年)は当時これを読んだように、
そのときの庭の天気にかんするそっくり同じ印象、
さまざまな地方や人生について作りあげた同じ夢、
翌日についての同じ不安を抱きながら、
この本を読む」

一冊の本を媒介にして
現在の「私」のなかで
過去の少年としての「彼」が
かつての体験をふたたびそのまま味わう。

「私が別な時間に属する何かを
ふたたび目に浮かべると、
今度は一人の青年が立ち上がるだろう」

青年時代につながるものに触れれば
今度は「私」のなかに
青年の「彼」が「立ち上がる」

私のなかには
局面局面に応じた私が
幾重にも堆積していて
各層の私はそれぞれ違う私だという。

「そして今日の私という人間は、
打ち捨てられた石切場にすぎず、
自分のなかにあるいっさいが
似通った単調なものばかりだと思いこんでいるのだが、
しかし一つひとつの思い出は
天才的な彫刻家のように、
そこから無数の彫像を引き出してくる。」

いまここにいる自分は
たったひとりで孤独の貧しさを
味わっていると思い込んでいても
実はそのひとりの自分が
何千人もの自分を秘めていて
夏の空の青さに驚くなら
生まれてからこれまでに
夏空の青さに驚いたすべての自分が
何人もいっしょになって驚いている。

※引用はプルースト「失われた時を求めて」鈴木道彦訳より
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