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記憶・永遠 4

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充実しているときには
充実している意味を問わない
充実には問いを入れる余地がないから。

空虚なときは
空虚さの理由を問う
空虚にはいくらでも問いが入るから。

空虚なときに生の意味を問うなら
空虚さに応じた記憶しかよみがえらないから
そのとき想起された生の軌跡は
貧弱なものになる。

「私は人生が、
そのいくつかの瞬間においては
あんなに美しく見えるのに、
結局はつまらないものと判断されるわけも分かっていた。
それは私たちが人生を、
まったく別のもの、
人生のかけらすら含んでいないイメージによって、
判断したりけなしたりするためなのだ」

このようにプルーストは
生の軌跡を振り返るときの落とし穴について
警告を発している。

「真実を欠いた思い出によって
世界と人生を判断したために、
それらを退屈だと思った」

世界と人生が生きるに値しないと思えるなら
それは「真実を欠いた思い出によって」
判断されているからだという。

疲れているときは
疲れた人生の軌跡などたどらず
休めばいい。

痛みがあれば
緩和につとめる。

しかし、疲れている時間が圧倒的に長くて
痛みがずっとつづくとき
「あんなに美しく見える」
「いくつかの瞬間」など
なにほどのものでも
ないのではないのか。

疲労と痛みのリアリティが
人生の真実ではないのか。

プルーストはそのような感じ方を
はっきり否定するだろう。
喜びのほうがリアリティとして強固であることを
体験させてくれる事実があるから。

「それだけで死をどうでもよいものにしてしまう喜び」

そんな喜びがあって
それが永遠の体験につながる。

※引用はプルースト「失われた時を求めて」鈴木道彦訳より
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