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記憶・永遠 5

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思いもかけず
過去のある体験を
ありありと思い出すことは
記憶の働きの、いわば特殊なケースであって
ちょっとした感動をもたらしはしても
それが何かの役に立つわけではないから
あまり重要なことだとは思われない。

しかし、そこには
記憶の常識をくつがえす
事実が秘められている。

記憶は徐々に薄れるといわれる。
これは記憶を思い出す
脳の働きについてなら妥当するが
記憶自体は薄れない。

思いもかけずに
以前聴いた曲に触発されて
思春期の自分の精神状態に連れ戻されると
実は体験はそのままに保存されていて
ただ普段は思い出されることがないし
意図的に思い出すことはむづかしい
というよりほぼ無理なのだ
ということが分かる。

思春期のころ好きだった曲を
次々に聴いてみても
懐かしさは生じたがそれはノスタルジーで
それらを聴いていたころの
自分の状態ではなかった。

それでも朝、生命感覚がまだ
目覚めたばかりでフレッシュなうちに
布団の中で
その日の天候を感じ取ろうとするときなど
気圧や温度、湿度が類似の過去が
よみがえりそうになる。

ただ、その過去を
つかまえようとすると
逃げられる。

自分の意図が起こると
記憶は慎重になって
身構えるようだ。

過去の体験に戻ることが容易だと
生命機能の維持がむづかしくなってしまうので
通常は記憶の有用な側面しか
思い出せないようになっているのだろう。

体験のまったき再現といえるような
記憶のよみがえりを
プルーストは無意志的記憶といっていて
「失われた時を求めて」のなかに
数ケースを紹介しているだけで
めったに起きないということが分かる。

生命がちょっとした不祥事から
舞台裏を垣間見せてしまう
ということだろうか。

ただ、この舞台裏を見ることで
自分はそれまでの持続である全過去と
つねに、ともに、生きているということが分かる。

いや、いまの自分は
それまでの持続が細大漏らさずに自動保存された
全過去なのだ。
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