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生は無意味か?

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がんの告知を受けた1年ほど前
死について真剣に考えたいと思い
ジャンケレビッチの「死とはなにか」を読んだ。

ジャンケレビッチには「死」という本もあるが
そちらはあまりにも厚くて
当時、読む気になれなかった。

当時の読書は
気がせいていたから
知りたいことだけを吸収した。

ジャンケレビッチは死を
思考不能としている。

生きている者は事実上
死を経験することができない。

だから死について何かを考えようとしても
考えの内容は生の経験から構成されるしかなく
それが死についての真性さを捉えることはないという。

生者はなにを語っても
生についてしか語れないということになる。

合理主義的な不可知論者

これがジャンケレビッチの立場で
1年前の読書では
それだけを理解した。

ただ、もう一点
印象に残った指摘があった。

死は生を無化する。
ただし、生きたという事実は
無にできない。

生きた事実性は残りつづける。

これはどういうことなんだろう
という疑問がずっと残っていて
「死とはなにか」を再読したくなった。

実際に再読してみると
1年前には読み取れていなかったことに
いくつも気づいた。

生はその内部で生きている限り
意味に満ちているが
死による限界づけで
生全体が問われると
死後の復活とか永遠のパラダイスといった
神話的な文脈に位置づけない限り
意味づけられない。

ジャンケレビッチは神話を
真実か否かという点では
根拠の薄弱なものとして否定する。

だから、ジャンケレビッチにとって生は
死によって無意味になる。

しかし、意味が不在であることの意味
無意味の意味は
探ることができるという。

誕生と死に縁取られた生は
神話的な文脈で意味づけることができなくても
それ自体が神秘として浮かび上がり
無限に大切なものになる。

この無限に大切な神秘としての生を
深堀りしていく。
これがジャンケレビッチの生き方なのだろう。

以上のポイントは
今回の読書で新たに理解したことだが
論旨にはいくつも疑問が残り
それを解くには大冊の「死」を読む必要がありそうだ。

ただ、やはりまだ
へんに時を惜しむ意識があって
厚い本には手が出ない。
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