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大切だと感じるものの変化

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働くときは
担当するプロジェクトが
自分の関心のほとんどで
起きている時間の使い方は
仕事に役立つかどうかで決める
生産性、有用性、効率を重視して。

がんで余命が短いと知ったとき
たとえば2年なら
その2年をどのように効率的に使ったらいいのか
ということを考えそうになった。

しかし、余命の2年は仕事のプロジェクトではない。
ゴール設定があるわけでもない。
だから、効率も生産性も問えない。

限りの見えた時間でなにをしたいのか。
リストアップしてみると
大きく分けて4つあったが(6月22日「時間の終わり?」)
この4つを進めるにあたって
効率や生産性は重視する意味がない。

いちばん重要なのは
やっていること自体に価値を感じるかどうか
自分なりの納得や充実があるかどうかだ。

そして、4つを進めているうちに
価値を感じることに関して
新たな捉え方が生じた。

あることには価値があり
別のことには価値がない
そういう区別がついてしまうより
やることにはすべて価値がある
生活していること全体に価値を感じる
そうなればいいと思った。

読書には意味があるが
掃除にはあまり意味はなく
必要なのでやらざるをえない
こういう区別をつけずに
読書も掃除も生きている時間として等価値であり
なにかのためではなく
その時間自体に意味がある。
そうなるようにしたいと思った。

これは残された時間の
効率的な充実度アップを狙ったためではない。
価値が目標などに依存するのではなく
それ自体のものとしてあることのほうが
望ましいと感じたためだった。

一職業人としては
あてがわれた目標の達成に対する有効性の重視
これが時間の使い方の基本方針になる。
余命の限られたがん患者としては
目標に依存しない、行為自体の価値化
これが新たな時間の使い方になった。

そして、死についての考察を進めるにしたがい
価値に関する、さらに新たな感じ方が
生じようとしている。
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