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「デカローグ第5話 ある殺人に関する物語」

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「過去は決して過去のものとはなり得ない。
過去は常に現在と関わっているのである」
キェシロフスキ

「デカローグ」は旧約聖書の“十戒”をモチーフに
人間世界の様々な問題、事件、感情、人間関係、運命を描いた
10のエピソードからなる連作の人間ドラマ。

これはあるサイトに出ていた「デカローグ」の紹介文だが
実際に「デカローグ」を見ると
十戒は確かにモチーフになっているが
ドラマとしての「デカローグ」は
旧約聖書の十戒を愛=イエスという新約の視点で
捉えなおす試みに思える。

旧約聖書の神は怒れる神
新約聖書の神は愛する神

十戒は怒れる神からモーゼがさずかったものだが
イエスは旧約を愛によって刷新したのだから
キリスト教では旧約の十戒がそのまま
守られるべき戒めなのではない。

では、十戒の意義は愛によってどう変わり得るのか。
また、現代という時代状況は
十戒の意義にどういう影響を与えるのか。
これが「デカローグ」では追求されている。

第5話は、2つの殺人をリアルに描くが
1つは個人が個人を殺すもので
これはカインとアベル以降
綿々と繰り返されてきたもの。

もう一つは権力による死刑の執行だが
これは殺人の抑止を狙うものだとしても
作中の弁護士が指摘するように
その効果はうすい。

個が個を殺す殺人は
本能的な行為として
今後も続くだろうが
では、権力による死刑は存続させていいのか。

ラストシーンの弁護士の叫びを見ると
存続反対というのが作者の意図なのだろうが
それを映画にするというのは
どういうことなのだろう。

権力による死刑執行で
史上もっとも有名なケースは
イエスの磔だろう。

イエスを死にいたらしめたのは
イエスに脅威を感じた当時のユダヤ教守旧派だが
第5話はそこまでの過去を射程に入れているのだろうか。

ともかく、第5話では人が人を
直接的に殺しているが
他者を死に追い込むという
間接的な殺人が
第6話と第8話で描かれている。
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