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「デカローグ 第6話 ある愛に関する物語」

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「この作品の真のテーマは孤独である」
キェシロフスキ

第6話は一度見たとき
少年の純愛の受難を描いていると思った。

リアリストの中年女性が
少年の純愛に気づいた後
自分が忘れていた愛の価値に目覚めるが
それは自殺を図った少年の愛の力の影響に思えて
溜飲が下がるのを感じた。

しかし、改めて見直すと
少年が孤児であること
友人の母と暮らしていること
女を覗きながらのマスターベーションをやめて
彼女のことを思うだけの愛情を育てたこと
などに気づき
少年の純愛は確かに純愛ではあっても
女に母なるものを感じての愛情ではないのかと
思えるようになった。

そうなるとこの話は
物語の類型としては
グレートマザーから独立する
少年の通過儀礼を描いたもの
ということになりそうだが
テレビ用のドラマではその解釈が合う一方
映画ヴァージョンではそうは解釈できない。

映画ヴァージョンのラストでは
女が少年の視点から自分の悲惨な孤独を見ることで
それまで絵空事に思えていた少年の愛に
リアリティを感じている。

この終わり方だと
少年と女の関係がその後どうなっていくのか
含みがもたせられていて
観客の想像を刺激する。

ラストシーンを変えることで
物語全体の意味が
まるで違ったものになっているわけだ。

キェシロフスキは自分で編集を行うことを
重視していたようで
あるインタビュー記事で別の作品についてだが
映画館ごとに編集の違うヴァージョンを
公開できたら面白いといったことを
実際には無理であることを承知しながら
語っていた。

ただ、物語全体の意味がどうであるにせよ
コアにあるのは女に対する少年の愛で
この愛に殉じる少年の行動は
ストーカーのようで子供っぽく
まったく反社会的だが
これ以上ないほど純粋だ。
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