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「デカローグ 第10話 ある希望に関する物語」

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「この映画は異常なまでにエゴイスティックな情熱に没入する人間の話である」
キェシロフスキ

第10話は父親と同じ轍を踏むことになる
息子たちの心情の変容を描いている。

長男は父親が死んだ直後
家庭を顧みず、母に苦労をかけつづけた父を
強く批判する。

しかし、父の残した切手コレクションが
貨幣価値を越えた
時間の結晶体であることを理解すると
その世界へ引き込まれていくことで
結果的に自らも家庭を顧みなくなる。

切手は売ることもできるのだが
兄弟は売るよりむしろ
コレクションとしての完成を望むようになる。

3点で揃うあるシリーズが
1点を欠いている事に兄弟は気づき
その入手を望むようになるが
入手の条件は金ではなく
腎臓病の少女を救うための
移植による腎臓の提供だった。

父の死んだ直後
兄弟は切手コレクションを
早く売って金に換えようとした。
図式的な解釈をするなら
コレクションは父の人生そのものだといえるので
その売却は父への冒とくになる。

そうだとすれば、腎臓の提供は
この冒とくを体の一部で贖う行為となる。

臓器移植については
イエスが最後の晩餐でパンを自分のからだ
ワインを自分の血だといったことから来る
聖餐との関連も考えられ
腎臓移植手術にイエスが含意されていると
考えることも可能だ。

しかし、兄が腎臓移植の手術を受けている間に
切手コレクションはなにものかによって盗まれてしまう。

犯人は誰か?
兄弟それぞれに思いつく理由があって
兄は弟を、弟は兄を、犯人だと疑う。

旧約聖書には兄弟をめぐる闘争が
いろいろ出てくるが
最悪のケースではカインとアベルのように
殺人が起きている。

しかし、この兄弟は相手を疑ったことを悔い
その告白を相手にすることで赦しあう。

再び図式的な解釈をするなら
イエスの説いた愛が
この兄弟間の赦しを実現している。

最後には、兄弟ともに切手を集め始めることで
兄は家庭を、弟は所属していたロックバンドを
見捨てることになるのだが
ともかく、父の経験を受け継いだことが示される。
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