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「ふたりのベロニカ」3

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キェシロフスキはこの作品で
映画でしか実現させられない“視点”を
観客に体験させる。

オープニングは
ポーランドとフランスで
同じベロニカが生まれたことを示す。

この、現実的には
あり得そうもない事実を提示するイントロで
観客はおとぎ話でも聞くような気分にさせられる。

つづいて、ポーランドのベロニカが
演奏会で倒れるまでのプロセスが描かれるが
その描写はよどみがなく
雨に濡れたり
スーパーボールの打撃で天井から降ってきた埃を浴びたり
心臓が痛んで道にうずくまったり
感覚が直接的に伝わってくるような画面を
随所に配すことで
観客がベロニカの感覚と意識に
同化できるようになっている。

このポーランドパートは
一人称の時間の流れが語る叙事詩。

このパートの最後で
観客は棺桶の中からの視線を
共有させられる。

そのため、フランスパートに移行すると
観客はポーランドのベロニカの
死後に存続している魂の視点から
フランスのベロニカを見ることになる。

ポーランドパートが瑞々しい
感覚にあふれた詩だったのに対して
フランスパートは謎解きをする
知的なサスペンス調の散文になっている。

では、解かれる謎はなんなのか。

劇中のベロニカにとっては
自分のダブルが謎なので
ポーランドで撮った写真に
自分そっくりの存在を発見することが
謎解きになる。

ただ、観客はそのことを初めから知っていて
ポーランドのべロニカが埋葬されてからは
あの世からの視点でフランスのベロニカを見ているので
そのベロニカが謎を解いて“自分”に気づくことが
観客にとっての謎解き
というか、カタルシスになる。

“わたしに気づいてほしい”
そう思いながら
フランスのベロニカが辿る散文を
観客は一行一行読んでいき
ようやく気づいてもらったときに
観客が味わうのは
愛においては
死を超えて2人はひとつになり
しかも2人にとどまるという
矛盾だろう。

これが「ふたりのベロニカ」の
感動体験ではないだろうか。
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