FC2ブログ

記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生きる歓び1

IMG_0851.jpg


いま、ここにいることが
なにかの目的や目標のためだとしたら
いま、ここにいること自体は
その目的や目標を実現するための手段になる。

この目的や目標は
ひとつが達成されれば
次が、すぐあとにつづき
実際のところ、切りなく設定される。

目的や目標は理想でも夢でもよく
実現すればそれは消えて
新たなものが出てくる。

この繰り返しは
記憶をさかのぼると
中学3年のころからずっとつづいている。
そのとき生きる意味を問いはじめたからだ。

この問い、というか、気分というか、未解決な感じは
目的や目標、あるいは理想や夢といった外皮をまとい
さまざまに変奏されながら
自分を意識的にも無意識的にも規制してきた。

だから、いまここにいることは常に
未解決な、あるいは未達成な感じをともなってきた。

そのため、いまここにいることを
意識が全面的に受け入れたことは
一度もなかった。

意味を問うべきだという観念がどこにいても働いて
いま、ここにいることを常に宙吊りにしてきた。

なぜ、生きる意味を問い始めたのだろう。
人は死ぬのに、なぜ生きているのかという
素朴な疑問を感じたからだった。

この疑問は、生きることを存在といったことばに
意味を価値といったことばに置き換えたりしながら
世に流布する言説に染まりながら
徐々にその素朴な問う力を失っていった。

そして、がんによって
自分の死をリアルに受け止めはじめたことで
死にかけていたこの疑問が
ふたたび問う力をもつようになった。

ただし今回は
ことばを置き換えることで
理解を拡大しようとは思わない。
問うことはまず
いま、ここにいることを
素朴に受け入れることから始めたい。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。