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「風が吹くまま」

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死後について確実なことは分からない。
だから、不可知論の立場を堅持して
生きることと死後とを決して関連づけない
という方針がある。

しかし、人類は死後について
単に知性だけでなく
直観や想像力も働かせ
神話的なヴィジョンを形成してきた。

そんなヴィジョンを
肯定的に受け入れるか
あるいは否定的に退けるか
はたまた、単に無関心でいるか
人によって方針の取り方はさまざまだが
「風が吹くまま」に登場する医師は
死後のヴィジョンをやんわりと否定する。

主人公がある老婆の容態を尋ねると
医師は老衰で助からないと告げ
老婆の様子を、すっかりやせ衰えて
骨だけになっていると表現する。
そこで主人公が「老衰は残酷だ」というと
医師は老衰より残酷なものがあるといって
次のように語る。

「死は最も残酷だ。
こういう美しい世界が見られなくなる。
神が私たちに授けてくれた素晴らしい世界がな」

二人は医師の運転するバイクで
黄金色に染まった、広大な麦畑(?)を
縫うように走っている。
「こういう美しい世界」とはその光景。

医師の説明に対して
主人公は「あの世も美しいのでは?」と返すが
医師は「どうかな」といってから
疑問形をとった否定を述べる。
「あの世から戻った者がいるか? なぜ美しいとわかる?」
そして、詩を引用する。

“天国は美しい所だと人は言う
だが私にはブドウ酒の方が美しい
響きのいい約束より目の前のブドウ酒だ
太鼓の音も遠くで聞けば妙なる調べ”

医師が言わんとするのは
死後についてはっきり知ることはできないのだから
いま、ここの、酔うことのできる世界の美しさを
より大切に感じるということだろう。

医師は刹那主義的な陶酔を
称揚しているわけではない。
むしろ、この作品における医師は
成熟した知恵を語る存在であり
いまここで生きるという事実を重視する
リアリストだ。

その医師が
知り得ない死後と
いま体験中のこの世の生との比較を
陶酔をもたらす美しさという基準で行っている。

死後がどうであれ
死ぬことによって生体は分解するのだから
感覚は停止するだろうと思われ
したがって、死による喪失の最たるものは感性であり
その清華である美的な陶酔感は
もっとも失いたくないものになる。

「死とはモーツアルトが聴けなくなること」
アインシュタインはそういったそうだが
これも死による感覚の停止が前提になっている。

不可知の死が不透明な鏡になって生を映すと
感覚的な美のかえがたい尊さが明瞭になり
肉体として生きてものを感じるという当たり前のことが
実に貴重なことになる。

「風が吹くまま」はシンプルな
ドキュメンタリー風の作品にまず見えるのだが
このテーマが徐々に明らかになるにつれ
人が生きるコミュニティも
生活のための仕事の苦労も
意識と無意識を併せた個人の内面も
みな巧みに織り込まれていることが分かってきて
映像の美しさに厚みが加わっていく。

おそらく、一度見ただけでは
その厚みは十分に味わい尽くせない感じがして
何度か見てみたくなる。
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