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ブニュエル「銀河」

italie2 143


自分の死を強く意識しはじめたとき
死がなんであるか解らないことから
その解らなさの逆照射を生が受けて
生きていることを構成する事実が
全部フラットに感じられた

このフラット感は
すべては等価
といいかえることもできる

仕事の成果が評価されて昇給することも
自分の生きる流儀を大事にすることも
晴れた日に洗濯物を干すことも
すべて等価だ

価値の序列はない

そう感じたのは
リアルさを増した死の観念に
一時的に動揺したからではない

経済に強いられる有効性という評価基準も
社会に強いられる人間性という評価基準も
死の前では同じようなものに思え
存在全体に部分相互の価値の優劣が
あるとは思えなくなったためだった

洗濯物を干すことが
生きる流儀を大事することより
価値が低いとはいえない

この等価という感じ方は
リアリティの区分にも波及して
行動と思考もまた等価だと感じられるようになった
というより、以前から自分にはそんな傾向があったが
それがはっきりと強まった

具体的には、なにかを考えることと
考えた結果として行動を起こすこととは
どちらも自分にとっては等価になる

考えることよりも
行動を起こす方が
難易度は高いかもしれない

考えているだけなら
それは単なる空想で
行動となると
努力が評価される

もちろん、行動が他者に及んで初めて
他者からの評価は出てくるはずで
考えているだけでは評価は得られない

しかし、考えたり想像したりすることだけでも
自分が生きているという事実になっていて
それ自体のレベルでは他者の評価は関係ない

こういう等価性の感じ方は
映画を観ることにも影響を及ぼした

ジャンルとか、ひとの評価とか
あまり前提を意識せずに
作品に接することができるようになった
(と自分では思う)

ブニュエルの「銀河」は以前一度観ていて
そのときは、自分の貧弱な知識による解釈で疲れ
途中で眠ってしまったのだが
今回見直してみたら強烈に面白い

現在も過去も空想も
なんもかもが映画表現の文法的な約束など無視して
全部フラットに表現されており
表現されていることをそのまま直接的に受け止めると
キリスト教に関する知識や理解の程度に比例はするだろうが
映画視聴体験として
これまでになく多彩なことを感じさせてくれた
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