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川端康成「しぐれ」1

20110828 013


この作品には引用が多い。

冒頭には釈迦と悪魔の対話があり
次に芭蕉「笈の小文」の序から数行が引かれ
その数行には西行、宗祇、雪舟、利休の名が出るが
その宗祇についてはさらに
弟子の宗長が書いた臨終の様子が引用される。

引用とはいえないが
ドイツの画家・デュウラアのデッサンが
作品の展開上、大切な役割を果たしているし
日本の画家、黒田清輝も出てくる。

これだけさまざまな作家を登場させる作品だが
「川端康成短編全集」という一巻本では
2段組みでびっしり活字が配されているというレイアウトではあるが
4ページと数行という長さでしかない。

しかしその長さでも
読書体験としての緻密度は
もうこれまでに何度か読んでいるが
異常に高い。

だいぶ前の初読時には
鮮明なイメージを残す
数行の強い表現に魅せられた。

例えば
「露の降るような月明りをかまきりのような恰好で見ているうちに首が疲れて額を雨戸に休めますと、その薄いぼろ板が古釘をはなれそうな音をたてました。」

これは“私”が雨戸の節穴から外を見ている様子の叙述で
見ている光景は「露の降るような月明り」で美しいのだが
「ぼろ板が古釘をはなれそうな音」を想像すると
神経に触るような音が聞こえてきそうで
生理的な気持ち悪さが生じる。

あるいは雷の様子の描写。
「雷がそこに落ちそうな、電流がその針金を伝わりそうな、道路の上につらなるその電燈が破れさけそうな、どきっとする光です。稲妻の色が地上を染めるようです。」

「落ちそうな」
「伝わりそうな」
「破れさけそうな」
と複数の副詞が「どきっとする」に畳み込まれていき
なんともなまなましい。

そのなまなましい「光」は「稲妻の色」になり
天からの視点で「地上を染める」と描写されるが
この「光」は、闇の中での救いのような光とは正反対に
怒りが発する罰のようなこわさを思わせる。

初読時には
このような、インパクトの強い表現による
後味の強い美しさが強烈に印象づけられた。

しかし、後味の記憶に引かれて再読してみると
表現のインパクトには免疫ができているので
むしろ筋の展開が気になった。

そこで、話の内容を冷静に読み解いてみようとしたのだが
いろいろな要素が複雑に絡んでいて
簡単には理解が進まなかった。

その後も何度か読んではみたが
理解はあまり深まらず
かなり緻密に構成された作り物だという印象ばかりが
強くなる一方だった。

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