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川端康成「しぐれ」3

20110828 009


「西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、
その貫道するものは一なり」

「しぐれ」の“私”は
芭蕉のこのことばを
魔よけにしている。

では、“私”にとっての“魔”とはなんだろう。

“私”は夢のなかで手を描いた絵を見る。
夢のなかでは、その絵が黒田清輝のものだと思うが
目覚めてから考えると
黒田はそんな絵を描いておらず
実はデューラーのデッサンであることに気づく。

[川端はそのデッサンの制作年を
わざわざ1508年と記していて
読者に作品を確かめてほしいのだろう。
「デューラー 1508年」でネット検索を行うと
「祈る手」という作品が出てくる。
川端はこの作品を「使徒の手」を描いたものとしているが
手のモデルはデューラーの友人だったという
この作品の背景として知られる話とはうまく合わない。
川端はともかくこの手を
イエスの弟子のものにしたかったのだろうか。]

“私”はデューラーの画集を見ながら
同じような手をしていた友人の須山を思い出す。
この友人はすでに死んでいるが
生前は“私”と双子の娼婦を買いなじんでいた。

双子のどちらが須山と自分の相手をするかは
だいたい決まっていたが
どちらがどちらともわからなくなることもあった。

「君は今日のように堕落したことがあるかい。」
「あるさ、生れる時からだ。」

二人はこんな会話をするが
須山が堕落を指摘したことに対して
“私”は自分の堕落が
生れてからずっとつづいているとひらきなおる。

この堕落していた過去が
払うべき“魔”だと見ていいのだろう。

芭蕉の詩人としての決意からすれば
“花”を感受できずに
獣のレベルにいることが堕落になる。

自分はずっと獣で
この世に“花”など見えはしない
これが“私”の過去のありさまで
この“私”を作者・川端の分身だとするなら
川端は、日本人の自分が
日本の自然に“花”を見ることができていなかった
そういう強い後悔をもっていたのだろう。

しかし、友人の須山もまた
川端のもうひとつの分身だと見なすことができ
こちらは使徒の祈る手をしていたが
すでに死んでいる。

川端の自覚としては
自分の半分(=須山)は西洋の影響を受けていたが
そこからはすでに脱しているということなのだろう。

ただ須山は“私”に次の問いを投げかける。

「あいつらがふた子なのがいけない。しかもそのふた子は、造化の妙をつくしたようによく出来ている。君はあの二人の存在について真剣に考えたことがあるかい。」

この問いに対して“私”は「ないね」と答えている。

「ふた子」の存在とはなんなのか
この謎がどうもうまく解けない。
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